闇鍋つつこう

実家から離脱した毒親育ちが毎日奮闘しているブログ。

働けるという基準

精神疾患を持ち復職をするのは大変だ。

 

基本的には医師の判断で決めていくとはいえ

働く話が出る頃の状態というのは事情や詳細を知らない周りからは『そのくらいなら働けるんじゃないの?』と言われがちである。

風邪を引いたあとしばらく免疫力が弱くなり再度風邪にかかりやすくなったり引きずりやすくなるように精神疾患にかかった後と前じゃ世界が大きく変わる。

心の風邪という表現は的を得てると思う。

風邪という表現を使う事でより軽視する人もいるが自分の心のキャパを基準に苦痛を感じてる相手に『そのくらい』という言葉を投げかけるべきではない。思うことは勝手だが思ったことをなんでも口に出すのは違うと思う。

 

私は抑うつ状態から適応障害双極性障害になったが外出自体が困難になりベッドから出ること食事をすることもままならなくなりそんな状態が1年続き1人で外出できるくらいの少しマシになったあたりでアルバイト探しを始めた。

周りに何かを言われたわけではなく半ば義務感で普通に戻らないといけない・働かないといけないと焦っていた。

近所で小売のオープニングスタッフの募集があったので応募したらすぐ採用され働き始めたが結果から言えばこれは大失敗だった。

 

①瞬間的に頭が真っ白になる

②他人の目線や態度に異常に敏感になる

③相手の話している内容が全く頭に入ってこなくなって理解ができなくなる(何言ってるか真面目に分からないし聞き取れない)

④簡単な雑務のやり方を忘れる

 

3ヶ月を過ぎたあたりから徐々に以上のような症状が出てきたのだ。きっかけは副店長との対人悪化。

最初はそこまで仕事のやらかしはなかったように思うが今思えばハリキリ過ぎて引かれていたんだと思う。

メンタル不調が本格的になる前は接客業をしていて元気な接客が出来ていて愛想も良かった。店長にはそこを買われて採用されたようだが多分この職場では浮いていた。

勤め始め1ヶ月くらいで無視されたり自分だけ他の仕事をやたら振られ1人離れた場所のレジを任されてる内に違和感が大きくなり症状が出るようになった。

やり方を忘れるは聞けば済む話かもしれないが相手の声を聞き取れないがあるので詰んでいることが多々あったし「大丈夫かな…」と不安になりつつ作業を終えて退勤し翌日来ると直されている(しかし誰もそのことには触れない)。

自分から「間違えてましたか?スミマセンありがとうございました。」と伝えてもなんだかイマイチな反応。

同僚から私はその仕事振られたことないよ〜!と言われるのが嫌で仕方なかった。

そんなことが続いて体調に不調が現れたことやコロナ禍などをきっかけに辞めたのだ。

今思えば事情を知らない周りからしたらミスの多い厄介モノだし仕事が出来ていない以上、塩対応されても仕方ない。

 

それでも自分だけ無視され孤立を促されるのはやはり堪えたしまだまだ社会復帰は早かったんだと思う。

 

 

そこからは自己分析を重ねて極力他人に接しなくてもよくて単純な作業の仕事かつ短時間の仕事を選ぶようにした。

意図的に孤立させられるのは嫌だったが1人で作業すること自体は好きだった。

次に選んだ清掃の仕事はかなり相性がよく職場での人間関係も悪くなかった。楽しく仕事ができて復帰してから初の成功体験だったと思う。それから今でも清掃の求人を中心に働いている。

 

それでも上に書いたような症状はたまに出ていて今でも聞き取れない症状は出ることが多い。電話対応は苦手ではなかったのに苦手になってしまった。チームワークを求められる飲食店で働くことはもう叶わないだろう。

 

やってみなければ分からないという事はたくさんあり復帰自体もそうなのだが、きちんと手順を踏まないと私のように苦しむことが増えてしまう。

 

働ける基準というのは自分と向き合いつつ慎重に決めてほしい。