闇鍋つつこう

実家から離脱した毒親育ちが毎日奮闘しているブログ。

雑談苦手

本当に雑談が苦手

なにを話したらいいか本当に困るから

気軽に聞いたり話しかけたりできない

誰でも食いつけるような天気の話すら振るのを考えてしまう

 

昔はよく出来たのになーって原因考えたら

トラウマとか色々ありはするんだけど根本的な原因はそもそも私が気軽に声掛けられるの嫌いだからだ

だから自分がいざ話しかける立場になった時に

嫌なんじゃないかな?迷惑じゃないかな?が先立ってなにも出来なくなる

 

うーん。嫌いと自覚してしまうとイヤだな。

 

傷つけられることを恐れてるしプライド高いし疑心暗鬼に囚われてる節があるから枷が多過ぎて身動き取れないだけなんだ

 

だからもう面倒くさくてコミュ障名乗ってるけど周りの人には絶対違う!って一蹴される。夫にすらコミュ障じゃない、コミュ障舐めるなって怒られる

プライドの高さや本質を見透かされてるんだろうね

でもイヤだし苦手だし、自分以外の周りのコミニュケーションを見ていても自分の出来てなさは明白だと思うんだよな

 

あーそう思うと余計に話するのがイヤになる

明日が憂鬱だ〜

 

 

 

性加害と虐待のトラウマ

女特有の月一のアイツが始まったせいか心のざわつきが治らない蛍です。

今日は自分の心の整理も兼ねて告白をしたいと思います。

念のため注意を出しておきますがこの記事は

『性被害』と『虐待』を主題とした記事です。

苦手な方は即ブラウザバック推奨。

私も最後まで書き切れるかわからないくらいトラウマ( ;ᵕ; )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先に断っておくが別に直近で性加害にあったとかそういうわけではない。

リエゾンという漫画を読んでいたら長年の疑問がまた顔を出したのだ。

本当はカウンセリングとか受けてきちんと治療しないといけないんだと長年思っているが過去に失敗した経験もあって対面で話をすることに恐怖感がある。

 

幼少期から性加害・性被害にまあまあ遭っていたが大人になった今でも年1はある。学生の時は数週間のうちに立て続けになんてこともあった。

でもしっかり憤りを覚えたり泣いたり感情を発露できるようになったのはここ数年の話。

20代の頃くらいまで漠然とした不安感を『性への好奇心』や性倒錯などに変換して相殺しようとしていた。当たり前だが根本的に向き合っているわけではないので耐えきれず自暴自棄な行動をしていたし俗にいうヤバいメンヘラ女状態だった。

今の夫と紆余曲折ありセックスレスになるくらい性に興味がなくなり初めて自分の本当の感情を自覚できた。

 

1番目だと思っていたのは4歳~5歳の時

保育園に通っていた頃、夜は離婚して夜職を始めた母が私の世話を友人に頼み預けられていた。

その家には3人子供がいて私と同じ年の女の子と大学生のお姉さん・小6の男の子がいた。この小6に夜な夜な性的な悪戯をされていた。

最初は親がいない時にアダルト系の雑誌を見せられたことがきっかけだったと思う。正直よくわかってなくて茶化していたがその日の晩から寝る時にベッドの中に連れ込まれたりするようになった。

くすぐりあってるくらいにしか思ってなかったと思う。拒否したり茶化したりすると叩かれたりしたから怖くてなんとなく従っていたけど子供ながらにヤバい状況なのは多分わかっていた。

その家には同い年の女の子もいて仲良くしていたがその子と代わりばんこでやられていた。

ある日の晩、パジャマと下着を降ろされおそらく指を入れられた。下半身に鋭い痛みを感じてさすがに怖くなりそれから理由を明かさずその家に行きたくないことを訴えて距離を置くことができた。

理由を知らない母はさぞうんざりしたことだろう。

 

数年後に自宅にこの家族が来る事があったが向こうも何も言わなかったので特に何かされることもなかったが内心『また何かされるんじゃ…』と怖くて仕方なかった。

よくわからないけど不快なことや他人に明かせないモヤモヤを抱えつつ小学生になってこれがどういうことだったのかの興味の方に移り学校の図書館で保健体育の本を読んだりしてなんとなく行為の事はわかってそのまま蓋をした。

それでも年齢が上がるに連れてそれがどういうことだったのかをわかるようになって感情が追いついてから完全にトラウマ化してしまった。

今でも忘れられたらどんなに良かっただろうと思う。

 

 

ただ、これはインパクトが強すぎて1番目だと思っていたことで実は最初ではないんじゃないかと考えている。

 

頭をよぎっている3歳~4歳の時の記憶

離婚する前の父親だ。

たびたび母と喧嘩していた記憶しかないが何時だったか近所のビジホに泊まったことがあった。

断片的な記憶の中で裸にされベッドに寝かされた。何故か父親も裸だった。

不思議に思った子供の自分が『なんで服脱ぐのー?』と聞いたことは覚えている。でもその後のことは覚えてないからなんとも言えない。

ビジホだし子供だから寝かしつけるのに適当な服がなく裸になった可能性が高いし私が知らないだけで父は裸族だったのかもしれないしね。

でも数少ない父の記憶の中でこれは長年疑問だった。風邪ひくから普通裸にしないよね?しなくない?

なにせ物心着く前の断片的な記憶だし

当の父親は離婚して行方知らずだし真相はわからないが最近このことを思い出すと違和感がすごい。

先述の1番目だと思っていたことと同様に断片的ではあるが妙に鮮明に覚えているのもそうだし、モヤモヤザワザワで心が落ち着かなくなるのだ。

 

高校生のときの母から受けた性的虐待

極めつけというかこれが一番キツイかもしれない。

今日みたいに冷たい雨が降っている夜中だった。17歳の時、母が夜の仕事を終えて酔っ払って帰ってきたのだがどうやら帰宅途中に不審者に遭遇したらしかった。怒り狂っていた母は既に最寄りの交番には行ったらしかったが不在で対応してもらえなかったらしい。これで余計に怒り狂っていたのでどうしたら宥められるものか考えたが結局無理でただ嵐がすぎるのを待って話を聞いていた。

しかし全然収まらないし詳細まで語りだそうとする。

聞きたくないと思い始めたのが態度に出てしまい母は更に怒り始めた。次第に『後ろからこうやってやられたんだ!』と胸を力任せに掴まれたりして不快感が迫り上がり早く過ぎることしか考えられなくなった。

ついに母は嫌がる私を押さえつけて『こうやったんだよ!!!!』

と下半身に手を伸ばしてきた。

あまりの恐怖に私は力いっぱい叫んだ。

たぶん後にも先にもあんなに叫ぶことはないんじゃないかってくらい叫んだ。

 

叫んで泣いて初めて母が我に返った。

 

『アンタもつらいことがあったんだね』などと言ってる母を内心そうじゃねえだろと突っ込んでいた。いま思い出しても震えが止まらなくなるのだが意外に冷静だったんだろうか。

オロオロとごめんね、ごめんねと謝る母をもう母とは思えなかった。

それ以前はそれでもお母さんだからとどこか慕っていた部分もあったと思う。

完全にもう母じゃない何かになった瞬間だった。

 

毒親という言葉が浸透して久しいがネット上にあるそういうコミュニティで同じような体験をした人を見たことがない。

娘が父親から・息子が母親からのパターンはそこそこあると思うのだが同性同士かつ直接的な話ってあんまり聞かない。私がおおげさなんだろうか。いつか同様の体験をした人に話を聞いてみたい。

 

 

 

 

こういう記憶がぐるぐるしてるせいなのもあってツラいことや苦しいことから逃げるように上京したり性倒錯してたんじゃないかと思う。上京する前から普通に恋愛なんかできていなかったけど。

実の親からされたことは一生忘れられない傷になってる。

親から受けたことが大きな足かせになっていることを年々感じるが死ぬまでこの苦しみを引きずるのかと思うと本当に気が重い。

自暴自棄になっていた頃のことを笑って話せるくらいになれたらいいのだけれど、こんな私といるせいか夫は性的なものに対する嫌悪感がすごくあるらしい。当然のようにセックスレスだし普通じゃない人生に巻き込んでしまったんだなと申し訳無さでいっぱいだ。

 

書き上げるまでに5日くらいかかってしまった。

本当につらかった。

読みにくいところが多々あるかもしれない。最後まで読んでくれてありがとうございました。

 

 

 

 

 

やることがいっぱいだ~って目を回す

貴重な休日なのに昼過ぎまで寝ちゃった不良主婦の蛍です乁( ˙ω˙ 乁)

典型的な夜型人間なので夜中のほうが色々なことが捗ります。

 

昼過ぎにあげた記事の通り、途中まで書いた記事がうまく保存されていなかったので今更新してるのですがやっぱり3月入って忙しくなってきました。

色々あって意図的にシフト増やしたりしたのもあるんですけど、やりたいことが渋滞中です。

ブログももうちょっと慣れてきたらアフィリエイトつけたりしたいな~って思ってます。副業したいよね。絵を描くのが好きなのでスケブとかもいいなと考えています。

 

そんな状態なので休みくらいは仕事のこと忘れてメリハリつけないといけないのですが休みの日でも職場の人からLINEきたりしてあんまり気が休まらず…。

先日の記事ではいろいろ任されて仕事のやり甲斐が~というようなことも言っておりましたがそうでもないのかも?

これの理由は職場で先輩がやりたくない仕事押し付けられてる事が割りとハッキリ見て取れるようになったせいです。確かに新人教育とか教えるのは大変だけどさ…個人の能力に期待されてるわけでもなければ仲間として信頼されてるとかじゃなく都合よく利用されてんなと。

先輩たちから上司が猛烈に針のむしろにされていて一挙手一投足にケチを付けてる様子を見ていたら思いました。

 

仕事に関しては適材適所という言葉もあるので

やれる人or余裕のある人がやればいいと思うし

業務を効率よく回したり環境を良くする為に利用されてる分には

黙って従う傾向のある私ですが相手の一時の感情で利用されたり振り回されたりするのは本気で拒否反応が出てしまいます。

だって押し付けられた仕事はいくら頑張っても大した成果にならないどころかマイナスになる確率が高いと分かってるから。

 

16パーソナリティだとINTJの蛍ですがNT型の思考の人ならわかってくれたりするのかな?

本当に一生懸命やればやるほどダメになるのよコレ。

押し付けた相手はその一瞬は楽になってるんだろうけど相手に嫌な仕事押し付けてる精神状態は逃避意識が強く被害者意識も強い他責傾向だから。

論理的とは程遠いところに行ってる状態なので本人が気に入らない要素が1ミクロンでもあれば100%ダメでその時の気分で褒めたり愚痴の対象にしてくるんだよね~。これが厄介なんだ。数日前の私よ、ぬか喜びにも程があったね!!!!!

後から色々ケチつけられるんだろうな~と思いながら対策考えてみたものの不毛だなと思ってやめました。こういう精神状態の人に何しても無駄。

 

正論ガードで戦ってもいいんだけど新人さんが入った今は被害が大きくなりすぎてしまうのでひたすらフォローに回る毎日。ただでさえも対人スキルもなければ相手にわかるように教えることが死ぬほど苦手な私は地獄を味わっています…。ごめんね新人さん。毎日愚痴を聞いてる夫はいよいよ塩になってきました。ごめんね夫よ…。

 

それでも急な体制変更や度重なる社員の暴挙に振り回され先輩たちがブチギレまくっているのも理解はできるのでどこに着地させれば少しは平和になるのか考えた結果、新人教育と並行して4月の体制変更がスムーズに着地できるように業務内容まとめて渡したり出来ることをやっています。多分これも7割くらい無駄になりそうだな~と思ったり思わなかったり。

 

新人さんの出勤初日に目の前で愚痴大会始めないでェ

話題に入りにくい他の職員の話とか出さないでェ

フォローしたそばからボソッと不穏なこと言わないでェ

 

いやもう無理、帰る(どこに)

 

 

火曜も休みなので、さすがに火曜は仕事のこと忘れてやりたいことやろう…。

人のこと言えた義理じゃないなと思います。私も大概冷静なんかじゃない気がしてる。

早く巣立ってもらってまたマイペースに仕事出来るようになりたい。

 

寝落ち警報からの翌朝

夜の仕事が終わってから一生懸命に記事を書いていたんだけど

眠気が限界にきていたので下書き保存して寝たんですよ

 

起きたら保存できてなくって最初からやり直し決定~~~!!

 

 

もう激萎え

でも今日明日はお休みなのでゆっくり用事片付けながら更新したいと思います

不定期更新より曜日更新のほうがいいかなあ~~?

 

自分の立ち位置

世の中での自分の立ち位置を正確に把握するのはとても難しい。

人に言われたことをなんでも鵜呑みにして判断するわけにもいかないし傲らず卑屈にならず本当の自分と向き合ってやっとわかるんだと思う。

 

最近ありがたいことに仕事に関してポジティブな意見をいただけることが増えた。新人教育を任されたり良い意味で忙しいなと感じている。

いまの勤め先はやっと1年経つくらいだが一生懸命やってきた甲斐があったように思う。

つい3ヶ月くらい前は上司の態度と私に対する扱いに憤りを覚えかなりメンタルが不安定になったがよく持ち直した…。

恥ずかしい話だが家で文字通りのギャン泣きをした。きっかけも今思えば何がそんなに癪に触ってしまったのか分からない程の些細なことだ。

やったことに対するプライドが高く変に自己肯定感が高い面があるせいだと分析しているがギャン泣きする私を見て夫は内心引いていたんじゃないかと思う。優しく励ましてくれてありがたい限りだ。

周りの職員の方々が社会人としてよく出来た方ばかりなので多少嫌なことがあっても我慢できている。

昨年からずっと職場の先輩たちに助けられていて本当に感謝しかない。もちろん嫌なこともいっぱいあるのだが嫌なことに目を向けたらキリがないので敢えて明確にせず触れずグレーにしておく術を学んでいる最中だ。

 

『普通になろう』とか『皆から頼りにされるような人間になろう』とか余計な事は考えず長い目で居場所を作って立ち位置を察れたら良いな。

 

働けるという基準

精神疾患を持ち復職をするのは大変だ。

 

基本的には医師の判断で決めていくとはいえ

働く話が出る頃の状態というのは事情や詳細を知らない周りからは『そのくらいなら働けるんじゃないの?』と言われがちである。

風邪を引いたあとしばらく免疫力が弱くなり再度風邪にかかりやすくなったり引きずりやすくなるように精神疾患にかかった後と前じゃ世界が大きく変わる。

心の風邪という表現は的を得てると思う。

風邪という表現を使う事でより軽視する人もいるが自分の心のキャパを基準に苦痛を感じてる相手に『そのくらい』という言葉を投げかけるべきではない。思うことは勝手だが思ったことをなんでも口に出すのは違うと思う。

 

私は抑うつ状態から適応障害双極性障害になったが外出自体が困難になりベッドから出ること食事をすることもままならなくなりそんな状態が1年続き1人で外出できるくらいの少しマシになったあたりでアルバイト探しを始めた。

周りに何かを言われたわけではなく半ば義務感で普通に戻らないといけない・働かないといけないと焦っていた。

近所で小売のオープニングスタッフの募集があったので応募したらすぐ採用され働き始めたが結果から言えばこれは大失敗だった。

 

①瞬間的に頭が真っ白になる

②他人の目線や態度に異常に敏感になる

③相手の話している内容が全く頭に入ってこなくなって理解ができなくなる(何言ってるか真面目に分からないし聞き取れない)

④簡単な雑務のやり方を忘れる

 

3ヶ月を過ぎたあたりから徐々に以上のような症状が出てきたのだ。きっかけは副店長との対人悪化。

最初はそこまで仕事のやらかしはなかったように思うが今思えばハリキリ過ぎて引かれていたんだと思う。

メンタル不調が本格的になる前は接客業をしていて元気な接客が出来ていて愛想も良かった。店長にはそこを買われて採用されたようだが多分この職場では浮いていた。

勤め始め1ヶ月くらいで無視されたり自分だけ他の仕事をやたら振られ1人離れた場所のレジを任されてる内に違和感が大きくなり症状が出るようになった。

やり方を忘れるは聞けば済む話かもしれないが相手の声を聞き取れないがあるので詰んでいることが多々あったし「大丈夫かな…」と不安になりつつ作業を終えて退勤し翌日来ると直されている(しかし誰もそのことには触れない)。

自分から「間違えてましたか?スミマセンありがとうございました。」と伝えてもなんだかイマイチな反応。

同僚から私はその仕事振られたことないよ〜!と言われるのが嫌で仕方なかった。

そんなことが続いて体調に不調が現れたことやコロナ禍などをきっかけに辞めたのだ。

今思えば事情を知らない周りからしたらミスの多い厄介モノだし仕事が出来ていない以上、塩対応されても仕方ない。

 

それでも自分だけ無視され孤立を促されるのはやはり堪えたしまだまだ社会復帰は早かったんだと思う。

 

 

そこからは自己分析を重ねて極力他人に接しなくてもよくて単純な作業の仕事かつ短時間の仕事を選ぶようにした。

意図的に孤立させられるのは嫌だったが1人で作業すること自体は好きだった。

次に選んだ清掃の仕事はかなり相性がよく職場での人間関係も悪くなかった。楽しく仕事ができて復帰してから初の成功体験だったと思う。それから今でも清掃の求人を中心に働いている。

 

それでも上に書いたような症状はたまに出ていて今でも聞き取れない症状は出ることが多い。電話対応は苦手ではなかったのに苦手になってしまった。チームワークを求められる飲食店で働くことはもう叶わないだろう。

 

やってみなければ分からないという事はたくさんあり復帰自体もそうなのだが、きちんと手順を踏まないと私のように苦しむことが増えてしまう。

 

働ける基準というのは自分と向き合いつつ慎重に決めてほしい。

 

 

 

双極性障害の働き方 〜私の場合〜

来月から忙しくなるからと2月中に片付けられることは片付けるため色々やりはじめたから疲れが累積してる本末転倒感。日曜日は死んだように寝ていた。

 

それでも、やりたいこともまあまあ溜まっているので起きてる時間や空いた時間は着手している。出来ていないのは読書くらいかな?大人になると本を読む時間や趣味の時間を確保することの大変さが身に沁みる。

昔よりは改善されたと思っていたが、まだまだ時間配分が下手くそだなと感じる日々。

睡眠不足ゆえの体力低下も食生活の乱れも顕著で睡眠の大切さも実感する。

 

双極性障害になってから特に体力がなくなり働く意欲を持続させるのが難しくシフト制の短時間パートを掛け持ちして働いている。

ダブルワークの方が大変じゃないかとよく問われるのだが意外と自分には合っている。

発症してから5〜6年経つが週5勤務や移動時間 含めた拘束時間が長過ぎる仕事は確実にメンタルがおかしくなるので出来ないから辿り着いた選択だ。

大体メンタル不調の原因は人間関係なのだがダブルで不安や不満を分散することでなんとか保っているし最近は気づきを得て考え方が良い方向へ変わっていくことを実感している。

人間関係の継続維持がとにかく苦手なので1箇所の職場に長くいると限界が来るのが早く、限界になってから退職して次を探すのはなかなか大変だった。酷い時は寝込んで過ごしてしまうから夫にも無理しなくていいし働いてさえいればいいと言われている。ありがたいが不甲斐なく申し訳ない。

自分に合った生き方を模索することや選択することを許してくれる環境だからここまで回復したんだなと感じている。親元にいたらこうはならなかっただろうから早くに絶縁の選択をした自分を褒めたい。

 

いつにもまして文章がブツ切りな感じがしている。最近は記事にスターをつけてくれる人もいて感謝しております。

寒暖差が激しく花粉も激しい時期ですが皆様ご自愛くださいませ。